今号では江本会長を偲び、生前の色々な思い出を綴ってみたいと思います。私が江本会長に初めてお会いしたのは、1995年に開催された(株)アイ・エイチ・エム主催の忘年会に参加した時でした。当時私は人見知りでしたので、素晴らしい著書を何冊も書かれている、私から見れば雲の上の存在である江本会長に話しかけることもできず、少し離れた所から様子を伺っていたのでした。壇上で挨拶された後、私がいるテーブルにやってきて、おもむろにコップ1杯のビールを一息で飲んだのです。
側にいた女性が、「すごい飲みっぷりですね!」と言いながら継ぎ足したビールを一息に飲んでしまいました。「普通のおじさんと言っているけれど、本当だったんですね」と言われて「そうなんだよ、僕は普通のおじさんなんだよ」と嬉しそうに答えていた様子が今でも忘れられません。その時に持参していた著書にサインをお願いしたところ「免疫とは愛のことなり」と書いていただいた事を今でも覚えています(ちなみにその時のビンゴゲームで、1等「波動相談無料券」をいただきました)。
『水からの伝言』で見た奇跡
その後、色々ないきさつがあり、1999年から3年ほど、私は(株)アイ・エイチ・エムの社員として働いていましたが、ちょうどその年の4月は国際波動友の会向けの月刊会報誌『月刊波動』(現『I.H.M. WORLD』)が発刊された時でした。そして、その2ヶ月後の6月には水の氷結結晶写真集『水からの伝言』が出版されました。その編集作業を行っている最中に、江本会長はゲラを見せてくださり「吉野内君、どう思うかね?」と質問をしてきました。その内容に感動していた私は「200万部は売れるでしょう」と言ってみたのですが、ご本人は「全世界合わせてなら売れるだろうね」と嬉しそうな顔をしておっしゃっていました。
結果的に『水からの伝言』は、皆様もご存じのように全世界合わせればその数字を上回る販売部数になりました。ただ、発売当初は一般書店の流通に乗せることができず、直販だけの販売で、初版1万部印刷したにもかかわらず予約はわずか380部、この時江本会長は、「俺もこれで終わりだな」と天を仰いだようです。ところが予約の本がお客様の手元に届き始めたその頃から、一人で10部、50部、100部と言う大口のリピート注文が入り始め、夢のような出来事が起こり始めたのです。誰も想像していなかった現象が起きた時に、人はそれを奇跡と呼ぶならば、私は正に目の前で起きている奇跡を一部始終見せられました。
その後、初版1万部はすぐに完売して、増刷をかけることになりました。印刷された新しい本が届くたびに、社員総出で倉庫へと運んでいたのが懐かしく思い出されます。ある意味、(株)アイ・エイチ・エムの歴史の中で、一番活気があった時代ではないかと思います。
弟子は師匠を超えて恩返しする
3年程勤務させていただいた後、経営が順調に進むようになった頃合いを見計らって、私は本来の仕事である波動サロンをもう一度始めることにしました。波動測定器「MRA」を使った波動測定技術、そして波動と言う目に見えないエネルギーをベースとして世の中の仕組みを解釈する波動理論を私は江本会長から教わりました。学んだことを基本にして、その後私なりの独自の研究を進めながら、波動測定の技術を進化させてきた結果、数霊理論を構築して独自の波動測定器である「数霊セラピーシステム」を開発することができたのです。ですので、私は江本会長の直弟子になります。
相撲取りが土俵の上で恩返しをするように、弟子は師匠を超えることで恩返しが出来ると考えています。私は江本会長の波動技術を超えることが出来たと言うのはおこがましいですが、同じスタートラインに並ぶくらいにはなったのかなと思います。
私の著書『潜在意識を変える・数霊の法則』を出版した時に、江本会長から「本を書いた気分はどうだね?」と聞かれたことがあります。私は「江本会長の弟子として今まで波動の仕事をしてきましたが、今回の本を書いたことで、会長が波動の仕事を始められた頃と同じラインにやっと並ぶことが出来た感じです」と伝えました。江本会長はすでに何十冊も本を出していますので、処女作を出したばかりの私には正直な気持ちでした。私の他にも(株)アイ・エイチ・エムに勤めていた元社員の人で本を出している人もおり、そのように成長して行く弟子が大勢いることは江本会長にとって大きな喜びだったと思います。
波動測定と結晶写真は車の両輪
波動カウンセリングと水の結晶撮影は、今までの世の中になかった技術ですが、その両方とも江本会長が新しく創造された技術になります。この世の中で頭の良い人とは、他の人が作ることの出来ないものを作ることの出来る人だと思います。江本会長は、他の人が作ることの出来なかった、新しい技術を二つもこの世に誕生させたのです。そのような意味において、江本会長は天才ではないだろうかと私は昔から思っていました。
『水からの伝言』が世に出てからは、波動測定に関してあまり関わらなくなってしまった江本会長ですが、海外で講演活動を行う際に、水の結晶写真について説明をしようとすると、どうしても「MRA」と波動測定について語らなければならないんだよとおっしゃっていました。この言葉から私は、やはり波動測定技術と水の結晶写真撮影技術は、車の両輪のようにペアでいる必要があると感じていたのです。つまり、水の結晶写真を使って、人の言葉や思いがエネルギーであることを説明するための啓蒙活動と、波動カウンセリング技術を使って人の意識のエネルギーバランスを整えるためのサポートを行う実践活動の両方が揃うことで、地球上の人類の意識を平和な方向へ早く変化させて行けるだろうと思うのです。そのために、波動カウンセリング技術を受け継いだ私としては、水の結晶写真を使った啓蒙活動と共に、これからの活動をしっかりと展開して行きたいと考えています。
江本会長との長い約束
もう一つ、忘れられないエピソードをお話しておきます。私が(株)アイ・エイチ・エムを辞めて波動サロンを再開しようとした時に、江本会長から呼ばれて近くの料亭で昼食をご一緒する機会がありました。一緒に参加する他の人達は少し遅れており、私だけが江本会長と同席してビールを飲んでいました。会長は「吉野内君、長い間ご苦労様、君がいてくれたお陰でずいぶん助かったよ」と労ってくださいました。私が入社する時、実は会社の経営がかなり苦しくて大変だった時なのでした。でもタイムリーに『月刊波動』と『水からの伝言』が出版されて、経営は息を吹き返したのです。
私は、「ありがとうございます」とお礼を言いながら、自分なりの役割を果たせたことに安堵して、江本会長を見ていました。すると意識が一瞬違う次元に飛んで行ったようなのです。そして、知らない間に両目から涙が溢れていました。「船井先生の本の中でたくさんの人が紹介されていますが、江本会長は特別ですから…。他の人達とは違いますから…。(もっと輝いてください)」と言う言葉が無意識のうちに口からこぼれていたのです。そして溢れる涙を止めることができませんでした。
まったく、思ってもいなかった自分の状態に、自分で驚いていましたが、その様子を見ていた江本会長も「君のその涙は一生忘れないよ」とおっしゃってくれました。おそらく、過去世で平和な地球を目指して一緒に活動していた時の記憶が、江本会長との約束が、その瞬間に蘇ったのでしょう。江本会長は、この世から卒業されましたが、江本会長との約束は私の心の中にしっかりと残っています。その約束を果たすために、これからも頑張って波動の仕事を続けて行きます。江本会長、ありがとうございました。