数霊システム&波動カウンセリング

◇続・数霊の法則 その38/我独慙天地(われひとりてんちにはず)

『I.H.M. WORLD』2016年11月号 掲載

 

自分の前世に触れる

 少し前になりますが、数霊の法則をお話しさせて戴く機会がありました。そのセミナーを主催されている方は、片岡航也さんと言う方で、片岡さんは以前この連載の中でもご紹介したことがある「月のテンポ116」を世の中に広めるために活動されています。もともと、義父である故・片岡慎介さんが見つけた「月のテンポ116」ですが、片岡慎介さんが亡くなられた後、お嬢様の由季さんとご結婚されて、その活動を引き継がれたのです。

 以前に何度かセミナーのご依頼を戴いて、お話をしたことがあるのですが、月と言霊と数霊には深い関係があることを発見したことで、今回は二ヶ月連続でお話をしてくださいと要請を戴いたのです。連続講座となれば、同じ話を二回繰り返すわけには行きませんので、いろいろ考えた末に、今まで人の前で語ったことのない話をしようと思ったのです。その内容は、私がいつもセミナーの最後にお伝えしている、ヤハウェー星に関わる宇佐神宮のお話しです。

 そもそも、私が宇佐神宮に参拝しようと思ったのは、あるチャネラーさんから教えてもらった情報がきっかけでした。波動カウンセリングの能力を高めるためには、自分の前世に縁のある土地へ行くと良いとのことでした。その土地へ行くと、前世で身に付けた知識や能力を思い出しやすくなるとのことなのです。いくつもある前世だと思いますが、その中でもまず最初に行くべきところは宇佐神宮ですと教えて貰ったのです。

思いもよらない歓迎を受ける

 その情報を教えて貰ってから、宇佐神宮を訪れる機会を探していたのですが、半年経った頃に実家の松山へ帰省する用事が出来たのです。愛媛と大分は海を挟んだ隣の県です。フェリーに乗れば数時間で渡れます。そこで、実家に戻る前に宇佐神宮に行ってみようと計画を立てたのです。自分の前世に、宇佐神宮でどのような人生を送っていたのか? 何も予備知識はありません。何が起きるのかまったく予想も出来ないまま、宇佐神宮を訪れたのです。

 宇佐神宮は、とても広い敷地の中に境内がありますが、その中に向かう参道の脇に茶店が並んでいます。お出迎えの看板を良く見てみるとなんと、「ドルフィン御一行様歓迎」と書かれているではありませんか。私の会社の名前はIHMドルフィンですので、まるで私が事前に予約をしていたような感じですが、予約を入れた覚えはありません。

 宇佐神宮を訪問しようと決めたその瞬間に、霊界から連絡をしてくれたのかも知れません。とても歓迎されているような気分で、参拝に臨むことが出来たのです。(もちろん、予約をしていたのは他のドルフィンという会社です)

社務所の中の銅像

 その後本殿で参拝を済ませて、社務所に立ち寄りました。すると、中に大きな銅像が建っていたのです。誰の銅像なのか分かりませんが、とりあえず写真を撮ってみました。その時に目が光ったような気がしたのです。そして、敷地内を散策していると、最初薄曇りだった天気が急変してきました。4月の半ばだったのですが、急に雪が降り始めたと思ったら、その後雲が消えていき太陽が顔を出したのです。その時、何気なく太陽を写真に撮ったのですが、家に戻ってから現像してみたところ、太陽の側にヤハウェー星が写っていたのです。

 さらに、敷地の外に小道が伸びており、小高い山の上にも神社がありました。その神社は護王神社という名前の神社で、ご祭神は和気清麻呂公でした。社務所の中に立っていた銅像も和気清麻呂公だったのです。

和気清麻呂公と道教事件

 和気清麻呂公で有名なのは道教事件です。

 「道鏡事件が起こったのは769年で和気清麻呂は37歳、近江将監の時。僧道鏡が政界に入り、女帝の孝謙(重祚して称徳)天皇から特別深い寵愛を得て、太政大臣禅師に、次いで法王となり、最後には天皇の位を望むようになった。そこへ九州太宰府の主神、習宜阿曽麻呂が朝廷に「道鏡を天皇の位につければ天下は太平となる」というお告げ(神託)をもたらす。天皇は驚き、神意を確かめるために使いを出すこととなり、その役に清麻呂公が選ばれた。宇佐から帰った清麻呂は死刑を覚悟で、先のお告げとは全く反対の「道鏡を除くべし」という内容を神意として言上した。

 これは政治の私物化に対する大抗議でもあった。当時の大部分の人は道鏡への譲位に疑問をもっていたにも関わらず、左大臣以下だれも声に上げて反対しなかった。これに対し命をかけて抗議したのが清麻呂公ただ一人だった。これにより、清麻呂公は大隅国(現鹿児島県)に流罪となったが、道鏡の失脚により都に呼び戻され、平安遷都など平安時代の礎を築く重要な役割を担った。この類をみない危機に立ち向かった清麻呂公の行動・精神は日本史上に一筋の光彩をはなっている」

 その後の逸話として、道教の怒りを買ってしまった清麻呂公は、大隅(鹿児島)に追放され、道教の追っ手に襲われ足の筋を切られたそうです。ところが突如現れた三百頭の猪に助けられ警護されて宇佐神宮に再度到り、足を治癒することが出来たそうです。清麻呂公を祀る護王神社や和気神社、足立妙見神社などには、霊猪として狛犬の代わりに猪像が置かれているそうです。宇佐神宮を参拝した後、大分港からフェリーに乗ろうとしていた時に、空に現れた大きな猪には、清麻呂公との深い関わりがあったのだと、この逸話を知った時に初めて理解出来ました。

大局から物事を見る

 和気清麻呂公が残した、「我独慙天地(われひとりてんちにはず」という言葉があります。実は私も、会社組織の中にいた時、トップの判断がおかしいと感じていたにも関わらず、その下で働いているメンバー誰もそのことに対して意見を言わない状況があり、私ひとりが意見を言ったところ、その部署から外されてしまったと言う経験があります。和気清麻呂公と道教事件のことを知った時、自分も同じような性分をしていることから、やはり宇佐神宮や清麻呂公と前世で関わりがあったのだろうと確信することが出来ました。

 そして、今回セミナーにて宇佐神宮訪問記を詳しくお話しさせて戴いたことで、セミナーを主催している片岡航也さんとも、前世での関わりがあったことを認識することが出来ました。セミナー中に、宇佐神宮の話しを始めた瞬間から、部屋の周波数が変ったと航也さんは感じたそうです。

 お話を終えて、窓の外を見てみるとそこにはクラウドシップが来てくれていたのです。私たちの活動は、宇宙からもサポートを受けていることをこの時改めて知ったのでした。

◇ドルフィン通信

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